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40年間、一つの歯科医院に通い続けた父の軌跡

40年間、一つの歯科医院に通い続けた父の軌跡

 

プロローグ

当院のブログをご覧頂き誠にありがとうございます。院長紹介にもございましたように、私自身、歯科医師を志したのは、父に歯で困らないようになって欲しいと思ったのがきっかけでした。歯科に通っているのに、「なかなか歯が良くならない」、「徐々に歯を失っている」、「歯科医院で心無いことを言われた」など歯科にあまり良い思いをされていない方が多いように思われます。

今では歯科医院は、コンビニの数より多く、どこの歯科医院に行っていいか分からないと言う声も多く聞きます。歯科治療は、実際どのような処置をされているかが分かりづらく、良い歯科医院の評価が難しいのが実情です。一度、歯医者嫌いになってしまうと、歯が痛くても我慢するようになり、何十年と歯科にかからず、お口の中が崩壊してしまうことも珍しくありません。当院には、何十年と歯科に通われていなかった方や、歯医者に良い思い出がない方など多数ご来院頂いております。有り難いことに往復4時間もかけて他府県よりお越し頂いている患者様もいらっしゃいます。

そんな今の当院の診療スタイルの根幹は、私が幼い時から、父が歯で苦労をしてきているのを間近で見ていた事にあります。会社近くの歯科に頻繁に通院していましたが、年々悪くなる歯の状況を見て、「何でよくならないのだろう」、「ご飯たべづらそうだな」、「痛そうだな」、「可哀想だな」と幼いながらよく心配をしていました。そんな父の歯で苦労してきた軌跡を当時の家族目線、現在の歯科医師目線で少しお話しさせて頂ければと思います。

父の20代〜30代の頃

そもそも私の父は、歯医者嫌いという訳ではありませんでした。歯科医院に真面目に通いながらも、徐々に歯を失っていってしまいました。父の性格は、真面目ではありますが、少し面倒くさがりの側面もある性格です。若い頃からコーラが好きだったようで、毎日のようにコーラを飲んでいたそうです。また仕事も忙しく夜の帰りも遅いこともあり、食生活が不規則で30代までに多くの虫歯を作り、神経を抜いては差し歯を入れる治療を繰り返していたようです。そして繰り返される治療に嫌気がさし、「全てを差し歯にしたら虫歯にならないのではないか!?」という考えに至り、通院中の歯科医院の勧めもあり、全てを差し歯にして、多くの歯を繋げて連結してもらったようです。

まず、この治療でさらに口腔内が悪くなる後押しをしてしまったように思います。その差し歯は、精度が良くない為に、隙間が空いており、虫歯菌が入り込みやすい環境でした。また連結された被せ物は、歯ブラシが届きにくい形態をしていたため、汚れが溜まりやすく、歯周病菌の温床となってしまいました。後に、この治療が原因で、取り返しの付かないことになってしまいました。本来であれば、まず虫歯の根本の原因を解決し、虫歯にならない取り組みを行うことが優先だと思われます。そうすれば、不用意に全ての歯を削り、差し歯にすることもなかったと悔やまれます。人の歯は何回も治療に耐えられるようにはできていません。一番長持ちして、丈夫なのは、天然の歯なので、歯科医師は、本来この天然の歯を最大限残す努力をする仕事だと思っています。

一般の方は、歯科に知識が無いのが当然なので、どのようにしたら虫歯にならないのかを、お伝えするのも大切な治療だと思います。良い歯科医院というのは、ただ先生が優しい、治療が早い、言うことを何でも聞いてくれる、だけでは駄目だと思います。本当に、その患者様を思うのであれば、時には誤った患者様の希望を軌道修正してくれたり、話す時間を十分に取ってくれたり、将来を見越して責任ある治療を行ってくれる歯科医院が、良い歯科医院なのだと思います。

父の20代〜30代は、こうして虫歯治療の繰り返しから、全てを差し歯にしてしまい、よりトラブルが起きやすい歯の環境になってしまいました。

父の40代の頃

この頃になると、当然、若い時に行った治療のトラブルが頻発してくることになります。差し歯の隙間から、虫歯が再発して、汚れが溜まりやすい環境から歯周病になってしまいました。40代から父の口臭がひどくなり、家族からは、「口臭するけど、ちゃんと歯磨きしてるん?」など頻繁に言われるようになりました。今思い返せば、可哀想なことを言ってしまったなと、申し訳ない気持ちになります。父も歯医者に通って治療しているのに、「良くならないのは、なぜだろう」と思っていたと思います。その本当の原因は、本人ですら家族も知る由もありません。

今でこそスマートフォンの普及で、様々な情報を容易に得ることができますが、当時はそのツールも環境も整っていなかった為、情報を得ることも出来ず、歯科医院で教えて貰うしか方法がなかったのです。通院している歯科医院からは、「歯磨きが上手に出来ていない」、「歯周病になっています」、「定期検診に来て下さい」とだけ言われたようです。ただこれは、父がどれだけ頑張って歯磨きをしても、定期検診に通ったとしても、改善されることではありません。本当の原因は歯磨きがしづらく、汚れが溜まりやすい差し歯の形態にあったからです。

そしてこの時期から加速度的に歯を失ってしまい、部分入れ歯を入れるようになりました。歯周病で弱った歯に、部分入れ歯のフック(クラスプ)がかかることになるので、より弱っている歯には、負担が増し、数年でその歯を失い、また入れ歯を新しく作るという治療が長年続きました。父は、自分の責任で歯が悪くなっていると思い込んでいるので、その歯科医院を信じ続け、ひたすら治療に通いました。通常の部分入れ歯では、食事を満足に噛むことが出来ず、まだ40代という若さで硬いものを噛むことが出来ず、柔らかいものを選んで食べるようになりました。大好きなお肉でも硬いものは噛みきれず、繊維性の野菜などの食品も噛みきれないようになってしまいました。いつも食事の際は、噛みやすい片側の奥歯で何回も咀嚼をし、食べづらそうにしていたのを覚えています。

普段何も気にせず好きな物を食べ、美味しく食事を噛むことは、想像するよりはるかに大事で幸せなことかを本当に思い知らされます。歯が一本痛くなっただけでも、食欲は失せてしまい、普段通りに噛むことが難しくなります。その毎日の大事な生活の一部を、歯科医療は担っているのだと責任の大きさを感じます。

父は一つの歯科医院に約40年通い続けました。徐々に歯が悪くなり、噛むこともままならない生活が、40年以上続いたことを思うと、心が痛みます。もっと早く虫歯の根本を治療してくれる歯科医院と出会えなかったのか、しっかり歯磨きが出来やすい差し歯を入れてくれる歯科医院と出会えなかったのか、歯周病をきっちり治療してくれる歯科医院と出会えなかったのか、悔やんでも悔やみきれません。

歯科治療は、その患者様の生活、人生を左右すると言っても過言ではありません。少しでも噛みやすく、好きなものを何でも食べられる生活を送ってもらいたい!そのように当院は思っています。そしてその思いを持つ根幹となり得る出来事でした。

父の50代の頃(歯科の世界へ進む決意・私の学生時代)

この頃になると残っている歯の本数は、数本になってしまい、上下ともかなり大きな部分入れ歯が入っており、変わらず口臭もあり、食事も噛みにくい状態が続いていました。

そして私も高校生になり、進学を考える時期に差し掛かっていました。本当のことを言うと、私は幼稚園生の頃からパイロットになることが夢でした。昔から乗り物が好きで、小さい時には、よく乗り物のプラモデルを作っていたのを覚えています。特に飛行機への関心が強く、空を飛んでいる飛行機を見ると、つい足が止まってしまったり、伊丹空港に飛行機を見にいくのが大好きでした。幼稚園の時代から高校2年生まで、ずっと変わらず夢は、パイロットだったのですが、その思いとは裏腹に学業にはあまり専念せず、学生時代はサッカーばかりしていました。パイロットに大切な英語も苦手で、どこかで叶わない夢になっていたのかもしれません。

そんな高校2年生の時に、父からふと、「泰隆は、昔から手先を動かすことが好きで、器用なんだから歯医者なんかどうや?お父さんの歯治してや。」と言われて、妙に腑に落ちた感じがしました。本来、私自身の根底にある思いと、将来像が一致して、自然と夢はパイロットから歯科医師に変わっていきました。ただ成績が良くなかったので、1年勉強を頑張っただけでは追いつかず、浪人になってしまいました。浪人になっても変わらず志望していた大学は、一つに絞られており、一番伝統があり、歯科医師国家試験合格率が常に上位の東京歯科大学に行きたいと考えていました。なんとか一浪で希望していた大学に受かることが出来ましたが、おそらくギリギリで入学したため、授業についていくのが大変でした。

大学でもサッカー部に所属しており、サッカー部の友人と主に行動を共にしていたのですが、皆優秀で試験前に少し勉強するだけで学年上位を取る友人ばかりでしたが、私は、その何倍も時間をかけて勉強しているのに、成績は学年の下の方でした。ただ自身の好きなことをやらせて貰っている両親には、学業で頑張っている姿を見せるのが、この時の一番の親孝行だったので、部活動をやりつつ、諦めず人の何倍も勉強していたのを覚えています。周りが遊んでいる夏休みも全て返上して、実家に1日しか帰らず、ずっと下宿先で勉強をしていました。この時、周りの友人から付けられたあだ名が、ミスターストイック!勉強してもあまり報われない冗談も秘められていました笑。ただ大学4年生頃になると、この勉強が身を結び始めるようになり、その頃には成績も常に上位に入るようになり、両親を安心させることが出来ました。この時に学んだことは、苦手なことでも、諦めず頑張れば努力は報われるのだと感じました。

大学も無事に卒業し、歯科医師国家試験にも合格して、関西に帰り、京大病院の口腔外科で研修医を行い、歯科医師人生がスタートしました。この頃でも、やはり私の興味は、歯を失った後の治療で入れ歯やインプラントに向いていました。ただ、研修医上がりの私が、すぐにインプラントなどの治療ができるはずもなく、インプラントや入れ歯、審美などに力を入れている歯科医院で修行を行い、多くの勉強会に参加して、知識技術の習得に励みました。

関西でも多くの友人ができ、人との繋がりで、尊敬できる師匠にも巡り会えることが出来ました。その師匠には、歯を失った後の、治療方法だけでなく、歯を失わないようにいかに天然の歯を守るか、その大切さを教わりました。歯を抜いてインプラントを沢山入れれば、インプラントが上手な先生ではなく、その歯科医師としての心構え、医療人としての全てを教わりました。常に諦めず、妥協を許さず、いつも患者様のことを思い、最善を尽くす治療を行っている、そんな師匠です。

本当に感謝でしかありません。今の私があるのは、この師匠のおかげだと思っています。私の父も30代でこの師匠の治療を受けることができれば、どんなに幸せで、豊かな生活を送れたのだろうと思います。

父の60代の頃(歯科治療開始)

そして、その師匠のアドバイスも貰いながら父の治療がスタートすることになりました。最初に、歯科医師として父の口の中を、見た時に愕然としました。今まで見てきた中で一番と言って良いぐらい、口腔内が崩壊していました。残っている数本の差し歯は、隙間が空いており、過去の治療の酷さを物語っていました。そして重度の歯周病にかかり、歯がグラグラの状態、入れ歯も修理だらけでとても審美的とは言い難い状態でした。よくここまで、この状態で食事を噛んでこられたなと、衝撃を受けました。

残念ながら、いずれの歯も残すことは難しく、全ての歯を抜歯することになりました。長年、入れ歯を使用していたこともあり、入れ歯にあまり抵抗がないため、インプラントと入れ歯を掛け合わせて治療していくことにしました。まずは、今使用している古い入れ歯を使って、歯を抜いて入れ歯に歯を足していくことを繰り返し、徐々に総入れ歯の状態にしていきました。

歯周病と言うのは、歯が存在することで起こる病気なので、全ての歯がなくなると歯周病菌が悪さをすることは無くなります。そして父の口臭も無くなっていきました。ある程度、抜歯した所が治ると、仮の治療用の総入れ歯を作成していきます。仮の総入れ歯ではありますが、歯のポジションや噛み合わせなど、全てを厳密に作成し、問題がないかを確認していきます。そしてそれを元に正しいインプラントの位置を導き出し、インプラント治療の準備がスタートしますが、まずここの段階で、きちんとした総入れ歯を入れるだけで、今までに比べると格段に食事を噛むことができるようになります。父に言わせると、「もうこのままで十分噛めるから、これで良いで!?」なんて事も言っていましたが、今までの状態が酷すぎるあまり、少し噛めるようになった事で安心したのと、長年、噛みにくい入れ歯で生活していると、本来どれくらい食事を噛めていたかを忘れてしまっていたのだと思います。

きちんとした総入れ歯でも食事を噛めるようにはなりますが、本来の天然の歯と比べると、やはりしっかり噛むことには劣ってしまいます。総入れ歯で、何でも不自由なく、しっかり噛むことは難しいので、やはりインプラントなども使用すると、より楽しく快適に食事を取ることが出来るようになります。

基本的には、残っていた歯を抜歯してから6ヶ月間は、中の骨の状態がしっかり治るまで、治癒待ちの期間になります。この間に、インプラントの方向を決める装置を作成し、インプラント手術の準備を行っていきます。私が忙しい事もあり、ついつい身内の治療は後回しにしてしまった為、インプラント手術は、抜歯後9ヶ月後ぐらいに行いました。

一日で下顎にインプラント6本を埋入し、その日のうちに仮歯をいれ、インプラントで噛めるようにする即時加重と言われる方法で治療を行いました。通常のインプラント治療であれば、インプラントを埋入してから3ヶ月ほどは、治りまちの期間になりますが、特殊な技術を使えば、その日のうちから総入れ歯ではない、固定式の仮の歯で噛むことが可能となります。

インプラント手術時間は3時間ほどで終わり、それから仮歯の作成にかかります。元々、仮歯の原型となるものは作成しているのですが、それを実際入れたインプラントにはめ込む作業が必要になります。この精度が悪ければ、インプラントは骨と結合せず、インプラント治療は失敗に終わってしまいますので、慎重な調整が必要になります。

仮歯の調整にも2時間ほどを要し、朝10時に治療がスタートして全てが終わったのが、夕方頃でした。途中、水分補給などもするのですが、麻酔をして口が痺れている為、上手く水を飲む事も難しく、お昼ご飯の休憩も取れないので、ゼリー状の補助食品を食べてもらいながら半日がかりで治療を行いました。

長時間の治療や、手術の緊張、食事もとれない事もあり、普段、あまりしんどい顔を見せない父ですが、帰り際に笑顔で「ありがとう!」と言ってくれましたが、顔が疲れていたのを覚えています。そんな姿を見ると、少し可哀想な気持ちにもなりましたが、良い親孝行ができた日になったと思っています。

手術翌日に、消毒に来て貰ったのですが、痛みはないものの、多少顔が腫れている状態でした。痛みに敏感な父なので、ひとまず痛みが出なくて、ホッとさせられました。そこからは3ヶ月ほどインプラントと骨が治り待ちの期間となります。この期間には、あまりインプラントに負荷はかけられない為、極力硬い食事は避けてもらうことが重要になります。インプラントと骨がしっかり結合するのに、一番危険な時期が、手術1ヶ月後になります。この時期が一番インプラントと骨の結合が緩む期間とされており、この時期に無理をするとインプラントは骨と結合しなくなってしまいます。固定式の仮歯となり、何でも噛めるようになり、また慣れてくる時期でもあるので、特に注意が必要です。

そんなある日、度々父には注意を促していたのですが、仮歯が一部欠けてしまったと連絡が来ました。何を食べていたかを聞くと、井村屋のアイスのあずきバー(父の大好物)を食べていた事を聞かされました。よりによって井村屋のあずきバーは、アイスの中でも格段に硬く、天然の歯でも噛むのが大変なぐらい硬いアイスです、、、あれだけ硬いものを噛まないように、口を酸っぱく伝えておいたのにも関わらず、噛めることが嬉しく食べてしまったようです。流石にこの時は、インプラントの失敗にも関わる事なので、息子として歯科医師として、ちょっとだけ怒りました笑。

そんな珍事件もありましたが、3ヶ月もするとインプラントは骨としっかり結合しており、とうとう最終段階の被せ物を仕上げていく工程になります。ただインプラントを入れたら何でも噛めるわけではありません。きちんとした良く噛める噛み合わせを作っていくのは、数々の細かい作業の連続です。

ここから仕上げて行くのに、幾度となく型取りを行い、インプラントのフレームの適合状態、入れ歯と歯茎とのフィット感などの確認などを細かく行い、3ヶ月ぐらいを経て完成になりました。

トータルの治療期間は、抜歯などから含めると2年程度かかりました。長く、大変な期間もありましたが、何でも好きな物を食べている父を見ると歯科医師になって本当に良かったと思いました。今まで40年近く徐々に歯を失い、きちんと噛む事もままならず、歯で苦労してきた父ですが、息子として今まで育ててきてくれた、最大の感謝を歯科治療という形で、その思いを伝えられたかなと思います。

エピローグ

今は、治療も終わり、2ヶ月に一度くらいのペースでメンテナンスを行っています。特に食事も問題なく、好きなものを食べられているようです。

70歳以降の、人生の後悔の1位に、『歯のメンテナンスを受ければよかった』とあります。年齢を重ねてくると日常生活の中での一番の楽しみは、食事になります。大切な家族と、仲の良い友人と、旅行先で美味しいご飯を楽しく食べること、当たり前のようで実は本当に幸せな時間なのです。その時間が大切な思い出となり、より人生を豊かにしてくれます。

私たち歯科医療従事者は、患者様の人生を豊かにできる、素晴らしい職業だと思います。しかし、その歯科治療に、愛情や、思いがなければ決して良い治療をすることはできません。自分の身内や友人、大切な人に、歯磨きがしにくい、歯周病になりやすい差し歯を入れるでしょうか?不必要に天然の歯を削って、隙間が空いている虫歯になりやすい差し歯を入れるでしょうか?食事を噛むことが出来ない入れ歯を入れるでしょうか? おそらくそこには、本当に良くなって欲しい!という思いが無かったのだと思います。

父の全部の歯を失った経緯においても、全ての原因が、歯科医院にあるという訳ではありません。ただ、今の歯科医院のシステムは、一日40人〜60人の多くの患者様が来院する医院が大半です。そうすると一人頭にかけられる治療の時間は、15分から多くても30分が限界になってしまうので、どうしても効率を重視するようになり、流れ作業のような治療になってしまうことがあります。

それでは、私が歯科医師を志した意味が全くありません。誰よりも歯で苦労する家族を近くで見てきたので、その大変さ、苦しみがわかります。

当院は、そんな歯で苦労されて、満足な治療を受けて来られなかった方の最後の歯科医院になりたいと思っています。当院にお越し頂く皆様には、きちんとした誠意ある治療を行い、噛める喜び、食べる喜びを感じて欲しいと強く願っています。そして、苦労してきたからこそ、噛めるようになった時の喜びは格別なものとなる事も知っています。

私が歯科医師をしていて、1番のやりがいは、治療後に患者様に喜んでもらうことです。当院の治療に喜んで頂き、通院して良かった!食事が出来て嬉しい!そう思って頂けるだけで、本当に嬉しいのです。

感謝されたいとか、そんなおこがましい事では全くございません。ただ、そう思って頂けるよう、日々全力で思いを込めて治療を行っております。時には、辛い治療や大変な時もあると思います。当院の治療は、一つ一つのステップをきちんと踏み、丁寧に治療を行う為、時間もかかると思います。なるべくご負担をかけないよう最大限の配慮をしておりますが、最終的には、それが患者様の喜びに変わるので、妥協は出来ません。

歯科治療は、細かい作業の積み重ねです。どこかで、手を抜いてしまうと全てが台無しになってしまいます。私の父がそうであったように、出会う歯科医院によって患者さまの人生は大きく変わります。

そんな当院の想いや診療スタイルの根幹は、父から教わったのかもしれません。

皆様と歯科医院とは巡り合わせです。来院される患者様とのご縁を大事にし、

笑顔溢れる、人生を豊かにするお手伝いを当院では、目指して行っております。

“Dentistry is a work of love”

 

大阪のインプラントオーバーデンチャー専門【YASU DENTAL CLINIC】

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FAQ -よくある質問-

インプラント オーバーデンチャー 名医 監修者情報

松井 泰隆 YASU DENTAL CLINIC 院長 『インプラントオーバーデンチャー外来』

 

東京歯科大学を卒業後、京都大学医学部附属病院で口腔外科を学び、
その後インプラント治療や入れ歯治療を専門に行う医療法人に勤務し分院長などを歴任。
インプラント オーバーデンチャーの治療実績も多数。

経歴
2003年 東京歯科大学入学
2009年 京都大学医学部付属病院・口腔外科学講座 インプラント専門外来
2010年 京都大学医学部付属病院関連病院
麻酔科・口腔外科
2012年 医療法人健志会
ミナミ歯科クリニック勤務
分院長など歴任
2021年 YASU DENTAL CLINIC 開院
所属学会等
  • 日本口腔インプラント学会
  • 日本臨床歯周病学会
  • 国際口腔インプラント学会(International Society of Oral Implantology)
  • ITI(International Team for Implantology)
  • 日本歯科審美学会
  • 日本顎咬合学会会員、認定医
  • インビザライン認定医
  • 日本臨床歯科学会(大阪SJCD)
  • 大森塾1期生

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日付:   カテゴリ:コラム

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インプラントオーバーデンチャー外来では、来院される患者様の想いを大切にし、その期待に応える歯科治療を行います。そして綺麗になった歯で思いっきり笑い、ご飯を食べる喜びを感じて欲しいと考えています。
出会う歯科医院によって患者様の人生は大きく変わります。
人生最後の歯科治療を、是非インプラントオーバーデンチャー外来にお任せください。